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大阪地方裁判所 昭和47年(わ)2832号 判決

主文

被告人神谷俊尚、同釜谷清治をそれぞれ懲役八月に、被告人野見武、同内藤政和、同森口芳樹をそれぞれ懲役六月に処する。

被告人全員に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶行する。

訴訟費用は被告人五名の連帯負担とする。

被告人らに対する各暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実中糸谷哲朗、青柳博、田中卓也、藤田与一、小林清敏、片村福夫、山口一次、木下某、久保某、牧田某、加藤某及び別紙記載のC、G、J、Kに対し数人共同して暴行を加えたとの点につき被告人らは無罪。

被告人らに対する右各公訴事実中前項掲記の一五名及び別紙記載の碓井規義、A、B、D、E、F、H、I、L、の九名に対し数人共同して暴行を加えたとの点を除くその余の事実に対する公訴を棄却する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人らは、

第一日本社会主義青年同盟(以下社青同という)解放派に属する全国反帝学生評議会連合(以下反帝学評という)系の学生ら約五〇名とともに、昭和四七年四月二八日午後五時四五分ころから同日午後六時二〇分ころまでの間、大阪市東区杉山町無番地所在の大阪城公園内において、同所に集結していた日本マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(以下革マル派という)の学生青柳博ら約五〇名の生命、身体に共同して危害を加える目的で多数の旗ざお(長さ約三メートルないし四メートル)を準備して集合した際、被告人野見、同釜谷、同森口においてそれぞれ旗ざおを所持して右目的で右集団に加わり、もつて他人の身体に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備して集合し、また被告人内藤、同神谷においては右目的で前記旗ざおが準備されていることを知りながら右集団に加わり、もつて他人の身体に対し共同して害を加える目的をもつて兇器の準備あることを知つて集合し、

第二相互ならびに反帝学評系の学生ら約五〇名と共謀のうえ、同日午後五時四八分分ころ同所において、別紙記載の右革マル派の学生碓井規義、A、B、D、E、F、H、I、Lの九名に対し、被告人野見、下司浩ら七、八名において前記旗ざおでかわるがわる突くなどの暴行を加え、もつて数人共同して暴行し、たものである。

(証拠の標目)〈略〉

(判示事実の認定についての補足的説明)

弁護人は、(一)、判示第一の事実について被告人らは大阪城公園に集合するにあたり同公園内に革マル派学生がいることを全く予期していなかつたものであり、また、同公園内に入つた時点では革マル派学生からの急迫不正な攻撃に対し自己の生命、身体等を防衛する意思しかなかつたものであるから、被告人らの所為は兇器準備集合罪の構成要件に該当しない。(二)、被告人神谷は本件犯行当日相被告人内藤らを含む反帝学評系学生と全く無関係の立場にあつたもので、判示の各事実について無罪である旨主張する。

そこで、まず(一)、について判断するに、前掲関係証拠によれば次の事実が認められる。

(1)  被告人らが当日参加していた集団である社青同解放派に属する反帝学評と革マル派はかねてから反目し、東京などで乱斗を繰り返してきた。

(2)  本件犯行当日の午後四時ごろから大阪市天王寺区所在の東高津公園で被告人らを含む反帝学評派の学生約五〇名が参加して開かれた集会で、大阪城公園内で革マル派が敵対してきたから断固これに反撃を加える旨の意思統一が行われた。そして、右集会に準備された旗ざおは二九本であつて、普段右規模の者がデモをする場合の旗ざおの数(少いときで三本か五本位、多いときでも一〇本位)に比して多数であつた。

(3)  右集会後、同日午後五時すぎ、被告人ら集団はタオル等で覆面し、ヘルメツトを被り、旗ざおを所持し、いわゆる斗争スタイルでデモに移り、同日午後五時四五分ころ大阪城公園南西出入口付近に到着し、同所から東北方にある噴水に通ずる道路を約二〇メートル入つた場所で停止した。一方、そのころ、同公園内の噴水の南西側では革マル派学生が集会を開いており、被告人らの集団が到着したとの情報を入手すると直ちにその指導者は激烈な口調で反帝学評批判のアジ演説を行い、それが終るや、約五〇名が同所付近の道路一杯に横隊となり、旗ざおを前方に突き出して構えて被告人らの集団に立ち向う気勢を示し少し前進をした後一旦停止した。被告人らの集団も右のような革マル派の態勢を見てこれに対抗して被告人内藤らの指揮に従つて隊列を整え、旗を巻くなどして旗ざおを前方に構えた。ここに、両集団は約七、八〇メートルへだてて相互に斗争を挑む姿勢で相対じし、同日午後五時四八分ころ、殆んど同時に前進を開始し、約二、三〇メートルに接近した際、やや革マル派の方が早く双方が一斉に走り寄り、当初相対じた場所からほぼ中間の地点で互いに相手を旗ざおで突くなどの乱斗を行つた。ところが、右乱斗後間もなく、被告人らの集団は革マル派に敗れ、多数の旗ざおを乱斗現場に放置して、同公園南西出入口付近まで敗走し、同所で新たに補給された合計約二三、四本の旗ざおをもつて、革マル派集団と対峠し、同日午後六時二〇分ころ、機動隊員により付近の茂みに連行されて職務質問を受けた。

以上の認定事実からすれば、革マル派の方がいち早く反帝学評派集団に対し攻撃の態勢をととのえその気勢を示したことが認められるけれども、しかし同日午後五時四五分ころ、被告人らの集団が同公園南西出入口付近で所携の旗ざおを構えて革マル派集団と相対した段階では、被告人らには単に防衛する意思しかなかつたものとは到底みることができず、革マル派に対抗して所携の旗ざおを使用して革マル派の身体を殴打したり、突くなどして同派の者を攻撃しようとする意思を有するに至つたものと認めざるをえないのであつて、右時点以後の被告人らの集団の行動も右の意思に基づいてなされたものと認めることができる。

而して、兇器準備集合罪における「集合」とは必ずしも場所的移動を必要とするものではなく、既に、時と所を同じくする二人以上の者が他に対して共同加害の目的を有するようになり、それによつて一種の集合体とみることができるに至つた場合には同罪にいう集合にあたると解されるところ(昭和四五年一二月三日最判)、本件についてみれば、前記のように被告人らの集団が同公園南西出入口付近で旗ざおを構えて革マル派集団と相対じした時点において、被告人らに共同加害の意思が生じたことが明かであつて、その時点において本罪にいう「集合」があつたものと認めることができる。

次に、右(二)、の主張について判断するに、前掲関係証拠によれば、判示のとおり反帝学評派の約五〇名は同日午後五時四八分ころ、大阪城公園南西出入口付近で互いに意思を連絡して全員結束して革マル派に対抗してこれに対する攻撃に加わり、そのうち少くとも被告人野見ら七、八名の者が竹ざおで革マル派学生碓井規義ら九名に対し、その身体を突くなどの暴行を加えたことが認められるところ、被告人神谷は社青同解放派の関西における幹部で革労協に所属していたもので、本件犯行当日東高津公園で開かれた反帝学評派の集会に参加し(尤も、当初から参加していたか否かは必ずしも明かではないが、)、以後同日午後六時二〇分ごろ反帝学評派集団が大阪城公園南西出入口付近で機動隊員から職務質問を受けるまで終始右集団の直近にいて右集団と行動を共にしていたばかりでなく途中被告人内藤と何事かを話しており、反帝学評派集団が同日午後五時四五分ころ同公園南西出入口付近に到着して革マル派と相対じするまでの間右集団に加わり、その先頭部にいた被告人森口ら数名の相談に加わつているような状況が窺われ(中川写真その(一)No.5)、その後右集団から出て近くの歩道上に立つて、右集団の先頭に位置して右集団を指揮していた被告人内藤に所携の新聞紙をあげて合図をし、これに応じた被告人内藤の指揮に従つて右集団が革マル派に対して攻撃を開始したことが認められる。

右認定事実及び(一)で認定した事実からすれば、被告人神谷は被告人野見らを含む約五〇名が革マル派の者の身体に害を加える目的をもつて旗ざおを準備して集合していることを認識しながら、同被告人らと加害の意思を共通にして右集団に加わつたことを認めることができるから、判示第一の罪責を免れることはできない。また、右認定事実からすれば、被告人神谷は判示第二の犯罪を主謀し、被告人野見らの実行行為を介して自己の犯罪意思を実現したものと認めるに十分であるから、判示第二の罪について共謀共同正犯としての罪責を免れることはできない。

(弁護人の主張に対する判断)

第一判示第一の事実について

一弁護人は刑法二〇八条の二はその規定自体極めて概括的で適用範囲が不明確であり、かかる規定を適用して処罰することは罪刑法定主義に反する旨主張する。

しかしながら、右條文の規定の文言があいまい不明確な概念を内容とするものとは解されないし(昭和四五年一二月三日、最判)、同法條がいわゆる暴力団の出入りを事前に規制することを機縁として制定された規定であつたとしても、同條には処罰の対象につき何らの限定もないから、被告人らの所為が右法條に該当すればこれを適用して処罰することは当然許されるところであつて、右の主張は理由がない。

二弁護人は、被告人らが所持していた旗ざおは同法條にいう兇器にあたらない旨主張する。

しかしながら、前記認定のように被告人らが革マル派と対峠した時点で右旗ざおを使用して革マル派の者に危害を加える意思を生じたのであり、また右竹ざおはその形状からして他人の生命、身体に害を加えうるに十分な兇器であつて、本罪にいう兇器というに十分である。右の主張も理由がない。

第二判示第一、第二の事実について

弁護人は、被告人らの所為は革マル派集団が竹ざおを所持して被告人らに不法に攻撃をしかけてきたのに対しやむなく自らを防衛するために行われたものであつて、正当防衛である旨主張する。

しかしながら、既に説示しように被告人らは積極的に革マル派に対して攻撃を加えて集団的喧嘩斗争に及んだことが認められるから、正当防衛をもつて論ずる余地はない。

(法令の適用)〈略〉

(一部無罪および公訴棄却の理由)

本件暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実の要旨は

「被告人らは、反帝学評派の学生ら約五〇名とともに、昭和四七年四月二八日午後五時四八分ころ、大阪市東区杉山町無番地大阪城公園内において、革マル派の学生青柳博ら約五〇名に対し所携の旗ざおで暴行を加えた」

というのである。そして、検察官は、右事実は各被告人につきそれぞれ包括して暴力行為等処罰に関する法律一條の罪に該ると主張する。

そこで検討するに、同法一條の共同暴行の罪は、検察官が主張するように一面において公共的な社会生活の平穏という社会的法益の保護をも目的としたものであることは否定できないけれども、第一次的には身体の安全という一身専属的な個人的な法益の保護を目的とするものであるから、右暴行が同一日時、場所において手段、方法を同じくして同一の状況下にある多数の者に対して加えられた場合であつても被害者ごとに同條の罪が成立すると解する。そうだとすれば何らかの方法で他と区別しうる程度に被害者を特定するのでなければ訴因の特定を缺くものといわなくてはならない。この点について、本件公訴事実は前記のとおり約五〇名というのであつて、検察官が氏名及が服装などで特定した別紙記載の碓井規義ほか一一名及びA乃至Lの合計二四名以外の者については氏名その他の方法による特定はもとよりその数すら特定されておらず(即ち、これらの者を特定する資料として革マル派の者を撮した写真が多数存するが、右写真の者のなかに前記の服装などで特定された者が含まれているか否か判別することができず、従つて氏名以外による特定はもとよりその数すら確定することができない。)、結局この部分については訴因の明示を缺くというほかなく、従つて、公訴提起の手続がその規定に違反し、無効であるから刑訴法三三八條四号により公訴棄却の言渡をする。

次に、右公訴事実中検察官が特定した別紙記載の被害者についてその被害の有無についてみると判示認定に供した各証拠即ち中川写真その一のNo.7、No.9、No.10、下司浩の検察官に対する昭和四七年八月二二日付供述書によれば、別紙記載の碓井義雄、A、B、D、E、F、H、I及びLの九名は被告人らの行為によつて被害を受けたことを認めうるが、その余の者については同人らが革マル派約五〇名の中に居て被害を受けたことを認むべき証拠はない(なお、右のうちCについては、被つているヘルメツトに記載された文字からみると同人が革マル派の者でなく、反帝学評派の者であるとの疑いが強い。)。よつて本件公訴事実中別紙記載の(一)中碓井規義を除く糸谷哲朗ら一一名及び別紙記載の(二)中のC、G、J、Kに対する部分はいずれも犯罪の証明がないものとして刑訴法三三六条により無罪の言渡をする。

(松井薫 一之瀬健 水谷正俊)

別紙

(一) 革マル派学生のうち氏名或いは氏が判明しているもの(明石平次の証言、中川写真、堂脇写真による)糸谷哲朗、碓井規義、青柳博、田中卓也、藤田与一、川村清敏、片村福夫、山口一次、木下某、久保某、加藤某、牧田某

(二) 革マル派学生のうち服装などから特定しうるもの(中川写真その一のNo.9、No.7による)

A、右下部分において、前方を向き左前に竿を構え「大経大革マル」と記載した白ヘルメツトを着用し、白つぽい上衣を着た男

B、右Aの男の左側(最下端)において、竿を左前に構え「革マル」と記載した白ヘルメつトを着用し、白ぽい長袖シヤツを着用した男

C、右A、Bの中間上方の竿を交差したところにいる白ヘルメツトを着用している男

D、右Cの男の右側において、竿を右前に構え、白ヘルメツトを着用し、タオルで覆面、黒つぽい上衣を着た男

E、右B、Dの男の左側において、「Z」と記載した白ヘルメツトを着用し、白つぽい上衣、黒丸首シヤツを着た男

F、右Eの男の左側において「マル」と記載した白ヘルメツトを着用した男

G、下部左側から二番目に竿を構え、白ヘルメツトを着用し、タオルで覆面、黒の上衣を着た男

H、右Gの男の右横において、白ヘルメツトを着用し、竿(自と黒)を構えた男

I、右Gの男の左側において、背を丸めて下を向き、白ヘルメツトを着用し、ブレザーの上衣を着た男

J、右のIの男の上方において、竿を上に立て、白ヘルメツトを着用し、あごひもをかけている男

K、右Jの男の前で、白ヘルメツトを着用し、タオルで覆面した男

L、中川写真その一のNo.7に撮つている男

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